【イベントレポートvol.5(連載第1回)】虐待を受けて育つということ~被虐待児の理解と対応~ -こどもの心のケアハウス嵐山学園 早川洋氏-

2021年12月21日に、子どもに向き合う全国各地の支援者が学び/知見/意見をシェアするオンラインイベント「こども支援ナビMeetup」の第5回が開催されました。

虐待や被虐待児の支援について、こどもの心のケアハウス 嵐山学園(以下、嵐山学園)園長の早川 洋 氏に理論と実践を交えてお話いただきました。

イベントレポート第1回では、虐待という言葉の定義やそれが持つ意味、こどもの心が育つのに必要なアタッチメントや自己効力感についてのお話を、一部抜粋してご紹介します。

プロフィール:早川 洋
1975年東京都生まれ。1998年京都大学総合人間学部卒業。同年島根医科大学学士入学し2002年卒業。
2002〜2004年埼玉県立小児医療センター(臨床研修医)。2004〜2009年国立精神神経センター国府台(こうのだい)病院(精神科・児童精神科レジデント)。
2009年よりこどもの心のケアハウス嵐山学園診療部長。2018年4月より園長に就任。嵐山学園では、学園の管理業務の他、入所児童の診察・健康管理、スーパーバイズ、地域の処遇困難例のスーパーバイズなどを行っている。これまでに臨床のかたわらで、多数の講演・執筆活動や行政での委員を務める。

児童虐待とは

―まずは「児童虐待」とは何なのか、言葉の定義や言葉が持つ意味をお伺いします。

「虐待」という言葉は、使うのも聞くのも結構きつい言葉だと思います。(「虐待」という)言葉を少し辞書で調べてみましたが、(様々な辞書で調べてみた結果、)私の定義としては、虐待とは「力によって当たり前の安全が脅かされること」ではないかなと思いました。安全を脅かすという意味では、同様にDVやいじめ、パワハラなども虐待と同様の影響が被害者にもたらされるように感じています。誰もが無縁ではない、広い概念なんですよね。

児童虐待防止法では、「児童虐待」は下記のように定義されています。

第二条 この法律において、「児童虐待」とは、保護者(親権を行う者、未成年後見人その他の者で、児童を現に監護するものをいう。以下同じ。)がその監護する児童(十八歳に満たない者をいう。以下同じ。)について行う次に掲げる行為をいう。

引用:「児童虐待の防止等に関する法律」厚生労働省

(行為の主体が)「保護者」と括られていますが、先ほど述べた虐待の定義を考えると、残酷な扱いをするのは保護者に限りません。子どもがそういう目にあうものは、すべからく児童虐待とすべきだとは思いますが、当時の法律はそこまでだったのですね。今はもう少し広く捉えたほうがいいと言われています。

虐待の種類には、身体的虐待、性的虐待、ネグレクト、心理的虐待の4種類があります。そして、心理的虐待の中にはDVの目撃も含まれています

 

「虐待」と呼ぶことが常に適切なのか?

「虐待」というのは「ひどいあつかい」という言葉ですから、加害者を糾弾する意味合いが強いんですよね。日本には(虐待のような意味を指す)言葉が虐待しかなく、全て虐待と言われてしまいます。しかし、当事者は、虐待と言われてしまったら当然傷つきます。

虐待は行政用語です。行政が認定していないのに、「あれ虐待だよね」と言うのは適切ではないと思います。

では他にどんな言葉があるかというと、虐待の類語としては、例えば「逆境的体験」があります。「辛い体験をしたよね」ということです。似た意味で「トラウマ」もあります。もっと広まってほしい言葉には「養育失調/養育不調」があります。養育不調は養育が上手くいっていない」という意味で、(相手を)責めない言葉ですよね。

子どもたちにとっても、「被虐待児」と言われるのはきついと思います。「大変な思いしてきたよね」「心に傷があるよね」という言葉のほうが(私も)実際に使っていますし、本人も自分が虐待を受けたというよりは「辛い思いをした」という実感だと思います。ゆくゆくは虐待されたのだと理解していく必要もありますが、自分の親が虐待者だというのはきついことです。

また、親にとっても、(虐待という言葉は)きついです。支援者が(虐待という言葉を)使うと、(親は)シャッターを下ろすと思います。(親が自身の行為について)きちんと認識することは必要ですが、(虐待は)親を攻撃する言葉として使われることが多いので、どういう意味を持つかわかっていないと危ないなと思います。

 

アタッチメントについて:こどもの心が育つとは

―続いて、虐待が子どもにどのような影響を与えるのか、というお話の前提として、子どもの心はどのようにして育っていくのか、お話いただきます。

アタッチメント(愛着形成)とは、イギリスのボウルヴィによって提唱された概念で、「子どもと養育者の間に形成される情緒的な絆」のことです。赤ちゃんは1人では生きていけないので、自分を育ててくれる人に強い情緒的な結びつきを形成します。

東京大学の遠藤利彦先生の定義がわかりやすいので参照させていただくと、アタッチメントとは、何らかの危急時あるいは危機が予期された時に、恐れや不安などのネガティヴな感情を、安心できる対象に近づくことで制御・調整しようとする行為の傾向を指します。そしてそれは、対象を変えながら生涯にわたって続き、乳幼児期には自他への基本的な信頼感の形成、そして個々人に固有のパーソナリティに影響する、と言われています。

また、専門的な言葉ですが、「メンタライジング」という言葉があります。「他者(や自己)の行動を心理面から理解する力」のことを指します。「人に気持ちがあることがわかる力」なんて言われています。メンタライジングができるということは共感的になっていくということです。虐待を受けた子どもは、メンタライジングが育ちにくいと言われています。アタッチメント、つまり、様々な人たちに支えられて信頼関係があることが、メンタライジングをつくる土台になります。

私の師、齊藤万比古(現・愛育相談所所長、元・国立国府台病院精神科部門診療部長)によれば、アタッチメントには4つの水準(ステップ)があります。


齊藤万比古の理論に基づき、早川作成

第1水準はまさに(母子が)くっついている状態です。(母が子どもに)没頭し、(子どもは母に)愛着を感じます。

次に、第2水準で何が起きるかというと、(第1水準のくっついている状態から)「お母さんはいつもいてくれるんだ」という安心を感じるので、おもちゃなどの興味の対象に向けて「あれ?なんだろう」というように離れていきます。この時に「できたね」「すごいね」と褒めてもらい、本人が「僕はできるんだ!」と自己陶酔することも大事です。何かができることを無条件に賞賛されることで、(子どもは)チャレンジしていきます。(離れるけれども)不安になって(母のもとに)戻ってきてエネルギーを補充してもらう、これがアタッチメントの第2水準です。


愛育相談所所長 齊藤万比古先生のスライドをご本人に許可を得て掲載

第2水準をクリアして子どもの行動範囲が広がってくると、子どもが公共の場で叫んだり、走り回ったりすることが生じるようになります。そのような子どもに対して、母はしつけを行います。第2水準までは全てが子どもにとって思い通りに展開していきますが、社会には、その子にとって思い通りにならないこともあります。思い通りにならなくてネガティヴな感情が生じた時に、子どもはアタッチメント対象に近づき、八つ当たりをしてネガティブな感情を調整するわけです。「大好きで壊れないママだから、安心して八つ当たりして、ネガティブな感情を調整できる」という構造です。

例えば、子どもが遊んでいて勝手に転んだ時、「痛い」というネガティブな感情に耐えられなくて、「ママが悪い」というように八つ当たりをして自分の内面を安定したままにしようとします。子どものアタッチメント要求を受け止められる母であれば、その時に「そうなのね。膝が痛かったのね」とほどほどによしよしできるわけです。


愛育相談所所長 齊藤万比古先生のスライドをご本人に許可を得て掲載

そのように、子どもが外に出てネガティヴな事が起きたときに、ともに乗り越えていく、ということをやらないと、困難を乗り越えるアタッチメントの成熟はできません。

 

被虐待体験を克服すると得られる「自己効力感」

アタッチメントの第3水準は、「自己効力感(self-efficacy)」と重なる概念です「自己効力感」の定義は、「自分がある状況において必要な行動をうまく遂行できると、自分の可能性を認知していること」です。自己効力感が高い子どもは、何かをやり遂げられる可能性が高まります。

自己効力感は、「自尊心」とは少し違う概念です。自尊心は「自分を信じていること」です。

(「自分はできる」と思うためには)まずは自尊心が必要です。しかし、自尊心が高くても成功体験や困難を克服した体験がなければ、自己効力感は高まりません。また、失敗ばかりでも自己効力感は低下してしまいます。

(最近は)「希望が障害されている子ども」も増えています。「希望」とは「行動によって何かを実現しようとする気持ち」です。これは、先ほどお話した「自己効力感」と同じ意味ですね。つまり、「困難を克服した経験」ができて、初めて希望が生まれてきます。一方、失敗が繰り返されると自己効力感が低下し、希望も失われてしまいます。子どもで言えば、「虐待体験や発達障害が支援されないままだと、希望が失われてしまう」ということです。そして、希望を回復するためには、アタッチメントの成熟が必要だと思います。

 

現代社会での自己効力感の困難さ

―被虐待体験を克服すると、アタッチメントの成熟、そして、自己効力感・希望が得られるとのことでした。そして、被虐待児だけではなく、現代の子どもに広く「希望の障害」が生じているとのことですが、その要因はどこにあるのでしょうか。

早川:なぜ現代社会で自己効力感が困難になっているか――私は「情報とモノが多いこと」が要因だと思っています。(情報とモノが多くて)便利だと困難を克服することがないので、その結果自己効力感が高まらないわけです。

(現代は)コミュニケーションを鍛える場所や感情のコントロールを学ぶ機会が少なく、子どもたちのソーシャルスキルやセルフコントロールスキルが低下しており、困難を克服できず自己効力感が高まりません。また、依存ツール(ゲーム、ネットなど)も多く、家族に甘える子もいて、困難から回避してしまいます。

ですので、現代社会に流されてしまうと子どもの自己効力感は高まりません。社会は昔には戻りませんから、「現代社会の環境が子どもにどのような影響があるのか」を、大人は知っておくべきだと思います。環境に流されていたら被虐待体験を克服できませんし、それは被虐待児以外の子どもたちも同じだと思います。

 

まとめ

「虐待」という言葉が持つ重み、自己効力感やアタッチメントの成熟において必要なこと等、考えさせられるお話でした。

早川先生、ありがとうございました!

イベントレポート第2回では、被虐待体験の克服のために嵐山学園で実践されていることについてお伺いします。第2回もお楽しみに!

【イベントレポートvol.5(連載第2回)】虐待を受けて育つということ~被虐待児の理解と対応~ -こどもの心のケアハウス嵐山学園 早川洋氏-
【イベントレポートvol.5(連載第2回)】虐待を受けて育つということ~被虐待児の理解と対応~ -こどもの心のケアハウス嵐山学園 早川洋氏-

※本記事の内容は専門家個人の意見であり、記載内容が全ての子ども支援団体にあてはまるとは限りません

 

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