子どもが好きだから、社会課題を解決したいから、目の前の子の力になりたいから…。そんな様々な思いを持って子ども支援の現場で活動していても、それでも「うまくいかない」と悩むことはきっと誰しもあるのではないでしょうか。
今回は「今いる拠点で、子どもたちにどのような支援を届けたらいいのだろう」、「子どもが攻撃的な言動をとったときにどのように受け止めたらいいのだろう」等の悩みを抱える子ども支援者3人が、お悩み相談の座談会を行いました。もちろん絶対的な答えのない問いではありますが、同じようなモヤモヤや困りごとを抱えている支援者の方に読んでいただき、一緒に考えてみたいと思います。
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安次富 亮伍
認定NPO法人Learning for All (以下、LFA)職員。出身の沖縄県で大学在学時から不登校や子どもの居場所の支援に参画し、その後公立小学校教員や子どもの居場所事業のマネージャー職を経て、2021年8月にLFAへ入職。子ども支援事業部エリアマネージャーとして勤務している。趣味は居酒屋巡り。
大学生ボランティア Aさん(仮名)
大学生ボランティア。大学2年の夏から約1年、LFAの学習支援プログラムに関わっている。趣味はカラオケ。
森山(本記事のライター)
大学1年の夏から約1年半、LFAの学習支援プログラムに関わった。大学3年からはこども支援ナビのライターとして活動している。趣味は読書。
支援チームとして子どもと向き合う
—子ども支援のボランティアの現場で、何か悩んだことはありましたか。
Aさん:「この拠点全体として、子どもたちにどのような支援を届けるべきか」について悩んだことがあります。私がボランティアとして参加していたのは、子どもに勉強を教える「学習支援」の現場でしたが、そこには「居場所」としての要素を求めて拠点に来てくれる子どもたちも多くいました。そういう子はなかなか学習に集中できないこともあったため、支援者が子どもと一緒に少し席を離れて遊びに行ったり、おしゃべりしたりしながら子どもの悩みに寄り添いつつ、学校のテストに備えて学習支援も行う、といった柔軟な関わり方が求められました。そうなると、同じ拠点の中にも、学習をしっかりやりたい子と、そうではない子が一緒にいたため、「子どもの不安の現れに寄り添うのは居場所づくりをしている別の拠点に託して、学習支援の拠点では、ある程度学習に振り切る必要があるのかもしれない」といった葛藤もありました。
安次富さん:必ずしも「学習支援の拠点では学習だけに振り切るべき」ということではないと思いますよ。どの支援拠点であっても、そこに来る子ども達の求めるものはさまざまでしょう。しかし、目的意識があれば自然と子どもは勉強するようになります。目的意識は人によってさまざまで、例えば受験かもしれないし、受験とは関係なくても興味があること・やりたいことがあるのかもしれません。その目的をどう作って、どうモチベーションを維持させるか、そういう雰囲気・教室の文化をどう作るかが、学習支援においては重要だと思います。
重要なのは「その拠点では何を大事にするか」について、チーム内で方針がまとまっていることだと思います。人によって温度差があると大人も子どもも辛いでしょう。例えば、子どもの言動や拠点での過ごし方について、「この人は受け入れてくれるけどこの人はダメ」では子どもも周りも、何をしていいのか、何をするべきなのかが分からなくなってしまいます。
Aさん:学習支援の拠点だと、「子どもが勉強できているか」という学習進捗が気になってしまいがちですよね。何に取り組んでいるにしても、同じような熱意をもって取り組めているかに注目して、拠点のあるべき姿を考えるのも一つの重要な観点だと感じました。
画像:Photo AC
「その行動はチャレンジさせて良いのか」を考える
—他にも、子ども支援のボランティアをしていて、どう対応すべきか困ったことはありましたか。
森山:子ども支援の現場で困ってしまうこととして、子どもが高いところに登るなど、危険を感じる場面にどう対応したらいいのかを悩んでしまうことがあります。以前、私が子どもと接していた時に「自分はここから飛び降りられるよ!」と、子どもが階段の横にある手すりの上に立ったことがありました。その時は咄嗟に「危ないよ」「あなたがけがをしたら怖いから、やめてほしい」と伝えましたが、子どもによっては、それでもこのような行動を繰り返すことがあり、どうしたらいいのか困ってしまいます。
Aさん:私にも似たような経験があります。一度、子どもが高いところに登ってしまったことがありました。「危ないからやめてほしい」と伝えても「私は運動神経が良いから大丈夫」と言われてしまうんです。そうなると「危ないからやめて」という私の言葉が、むしろ子どもの行動を助長してしまっていないか怖くなることがあります。また、こういう行動の裏には子どもの「自分を見てほしい、認めてほしい」という思いがあるのではないかと思うのですが、子どものけがが怖いのでその場では「やめて」としか言えず…。子どもの行動の裏にある思いは受け止めたい一方で、危険な行動はすぐに止めたい、という葛藤で悩むことがありました。
安次富さん:お二人の話は、子ども支援の現場では結構よくあることではないでしょうか。子どもに関わる人であれば、誰しもが経験していることだと思います。そのような場面においてまず考えるべきなのは、「その行動はチャレンジさせていいものなのか、命の危険はないのか」ということです。「リスク」と「ハザード」という言い方をすることもあります。例えば、落ちたら命を落とす可能性があるくらい高い場所に登るとか、道路に飛び出すといった、命の危険に関わる言動(ハザード)は、何があっても止めなくてはいけませんし、子どもにもしっかりと「ダメ」と伝える必要があります。
森山:たしかに。支援者自身の中で「これはダメだ」という線引きをしっかり持っていることが、命の危険に関わるような咄嗟の状況でも、子どもの命を守ることにつながると感じました。
安次富さん:いわゆる「試し行動」と呼ばれる子どもの行動には、さまざまなパターンがあります。「大人の顔色を伺う」「攻撃的・挑発的な言動でゆさぶる」「自分のアイデンティティを示す」の3つがよく挙げられるでしょう。命に関わるような行動はまず止めることを前提として、その上でこれらにどのように対応していくかは、支援拠点によっても異なるように思います。
画像:いらすとや
「支援者」という立場から子どもにどう関わるか
ー子どもの攻撃的・挑発的な言動も、多くの支援者の方が悩むことではないでしょうか。
森山:現場で一緒に活動していた他のボランティアも、保護者でもない、学校の教師でもない「支援者」という距離感において、子どもからの攻撃的な発言をどのように受け止めるべきか悩んでいる人が多かったです。攻撃的な言動は、子どもの友人関係でもトラブルの原因になりますし、支援者である私自身も傷ついてしまうので注意したいと思う一方、そういった言動は子どもの不安の現れかもしれないとも思います。そもそも小中学生ってそういう言動をしたがる年頃なのかな、とまで考えだすと、支援者としてどこまで踏み込んで良いものか…。
Aさん:子どもと接する大人の心の余裕も関わりますよね。ボランティアスタッフも、私生活でいろいろあって余裕があまり無い時には、子どもの言動に戸惑ってしまうと、どうしたら良いかわからなくなる時が正直あります…。とはいえ、子どもにきちんと向き合わなかった時に子どもが寂しさや不安を募らせてしまうのではないか、という不安も感じてしまいます。
そういう場面においては「私はこう思うよ」等、あくまでも主語を「私」にした「Iメッセージ」や、何故そう思うのかをしっかり言葉にして伝えようとはしていますが、子どもにどのくらい響いているのかもわかりにくいので、これで良いのだろうかと不安になることもあります。
安次富さん:そういう時って「自分がどうしたら良いのか、自分はどうしたいのか分かっているのに、実行できない」から困ってしまいますよね。大人側ができる対応としては、もちろんAさんが言ってくれたように「Iメッセージ」があります。また支援において、自分自身と、子どもを含む周りとの距離の取り方はとても重要だと思います。子どもが示した行動に対して、大人がどのように距離を取るのか。私は「誰の問題なのか」を整理することが必要なのではないかと思っています。
例えば、保護者が「子どもが全く勉強しない」と悩んでいるとします。この場合、勉強しないのはその子どもの問題であって保護者の問題ではありません。何故なら、勉強という行為をするのは子ども自身であり、子どもがやろうと思うかどうかが大事になってくるからです。保護者ができることは、子どもが勉強できる環境を作ったり、一緒にお絵かきをしてエンパワーメントしたりすることでしょう。「その問題は、誰の問題なのか」「その問題に対して自分は何ができるのか」について納得することが、子どもの示す行動と適切な距離をとれている、ということになると思います。
安次富さん:また、子どもとの関わりへの前提として「その子が何故その行動をしているのだろう」と考えることも重要です。子どもから攻撃的な言動を受けた時には、私は「これも子どもの持つ武器なのかもしれない」と考えることが大切だと思います。「武器」という言い方が適切かどうかは悩みますが、つまり、過度に攻撃的な言動だったとしても、子どもにとっては自分のモヤモヤを表現する唯一の方法である可能性がある、と考えています。支援者としては、「この子から、今、この武器を取り上げてしまったらどうなるんだろう」と考え、何かに立ち向かう時の新しい武器、つまり攻撃的な行動以外で自分のモヤモヤを表現する方法を少しずつ提供する必要があるのではないでしょうか。
森山:たしかに、自分のモヤモヤを伝える手段がないというのはストレスですよね。私も英会話の時間に、うまく英語で話すことが出来ないことでモヤモヤした経験があります。どう表現したら良いのかわからないのに、ただ周囲から「そのようなキツイことを言ってはいけない」と注意されても、子どもも困ってしまいますよね。「必ずしも言葉通りの感情や考えを持っての行動ではないかもしれない」と思うだけで、その行動を受け止める大人の心の持ちようも変わるように感じました。
画像:ソコスト
長い目線で子どもの変化と向き合う
—相談会を終えて、いかがですか。
森山:子ども支援の現場において、私の言葉やアクションが子どもにどう届いているのか、すぐに結果がわかるものでもないので不安になりますが、長い目で見ることが大切だなと思いました。以前、過去にボランティアに参加していたスタッフが、久しぶりに自分が関わっていた子どもに再会して、「昔はすごくやんちゃだったのに、今はしっかりしている」と感動していたことがあります。きっとその子は、少しずつ自分自身の優しさを表現できる術を得たことで、しっかりしてきたのではないかと思いました。
Aさん:そのような変化は、子どもと長く関わったからこそ見えてくる部分ですよね。子ども支援のボランティアは短期間での関わり方も多いので、「せっかくボランティアに来たからには、成果を出さないといけない」と何かしらの子どもの変化を求めて焦ってしまうことがあるのかもしれません。
安次富さん:それは、先ほど話した「誰の問題か」にも関わる部分ですね。支援者もなんらかの目的をもって現場に来ているので、成果がないとモヤモヤする部分もあるでしょう。けれど、大人自身も日々そこまで変わっているわけではありませんよね。「今日はたくさん本を読もう!」と思ってもついつい携帯を触ってしまったり、「明日は必ずジョギングしよう!」と思っても当日の朝に起きられなくて結局走れなかったり…。「変化」には時間もかかるし、そんなに簡単にできることではありません。だからこそ長い目線で「今、この自分の関わりが、いつか子どもが成長するきっかけに繋がればいいな」という思いで向き合うなど、大人側の考え方を変えることが必要なこともあります。
Aさん:そういう時にこそ、チームで支援に向き合うことが大事になるのかもしれないとも思いました。大人だって余裕がある時とない時がありますし、余裕がない時には他の誰かがカバーしたり、一人の子どもに対して「もしかしたら、この子は今こう考えているのかもしれない」という視点をチームで補いあったり、「このままの支援でいいのか」という不安を共有したりするなかで、拠点の中での支援のバランスが取れるように思います。
安次富さん:子ども支援の仕事には「正解」がありません。だからこそ「その子にとって何が最善なのか」をいろいろな視点から考えるのが大事なのでしょう。「将来のために」という視点や、「今、子どもはどのような気持ちなのだろう」という視点など、子どもを中心に考えることが重要です。時には待つことも必要ですし、危険行動のように絶対に止めないといけない場合もあります。子どもの適応規制が、虐待など子どもの命に関わる吐露である可能性もあります。そのうえで、「この子は今、こういう時期なんだな」「今はこの武器しか持っていないのかもしれないな」と支援者の中で整理をしていくことが大事なのだろうと思いました。
まとめ
ポイントを以下にまとめます。
- 子どもが危ない行為をしている場合は「それはチャレンジさせていい行為なのかどうか(リスクかハザードか)」を判断し、子どもの命の危険に関わる行為(ハザード)は、必ず止める。
- 子どもの行為の受け止め方に悩む場合は、それが「誰の問題なのか」を整理し、長期的な目線や子どもの目線を取り入れて自分の目線を検討し直せるといい。
- 子どもの攻撃的な言動に対して「この子はなぜこの行動をしたのだろうか」「この子にとってこれが唯一の表現方法かもしれない」と考え、少しずつ、気持ちを表現する他の方法を提供することが大切である。
- 子ども支援の仕事には「すぐに効果が出る正解」が必ずしもないからこそ、子どもの変化を長い目でとらえて、「その子にとっていま何が最善なのか」をいろいろな視点から考えることが大事である。
※本記事の内容は団体の一事例であり、記載内容が全ての子ども支援団体にあてはまるとは限りません
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