「バウンダリー(境界)」とは、「わたしはわたしであり、そしてあなたはあなたである」という信頼と尊重に基づく関係性を築くために必要な線引きのことです。誰一人として同じ存在がない以上、すれ違いやぶつかり合いを完全に避けることはできません。どちらかが抱え込んでしまう関係では、いずれ限界を迎えてしまうでしょう。物理的・精神的な「距離の長短」ではなく、互いに安心できる心地よい関係性を築くためには、どのようなことを意識することが大切なのでしょうか。
今回は前編に引き続き、社会福祉の分野で幅広く活動している、白梅学園大学名誉教授の長谷川俊雄さんに「バウンダリー(境界)」についてのお話を伺いました。境界の混乱にどのように向き合い、より良い関係性の構築につなげていくことができるのかについて、長谷川さんの日々の実践と合わせて取り上げます。
プロフィール:長谷川 俊雄
1981年から横浜市役所の社会福祉職として現場で活動したのち、精神科クリニックのソーシャルワーカーに転職。不登校やひきこもりなどの思春期・青年期の「生きづらさ」と向き合う日々を送る。その後、愛知県立大学での教員経験を経て、2009年に「NPO法人つながる会」を設立。社会に傷ついてひきこもっている人、がんばりすぎて心が疲れている人等が利用できる居場所「つながるcafé」を2011年3月に横浜市南区に開設。
現在は白梅学園大学名誉教授並びにNPO法人つながる会代表理事のほか、2023年に「social work lab MIRAI」を開設し、援助職支援や家族支援にも取り組んでいる。
「コントロール」と「サポート」の違い
—子ども支援現場ではバウンダリー(境界)の混乱が生じやすく、いくつか例も挙げて頂きました。特に気を付けなければならないことはありますか。
私自身が講演を行う際に、来てくださった保護者の方々などに「子どもと関わりを持つ時、コントロールが多いですか?それともサポートが多いですか?」と質問することがあります。この「コントロール」と「サポート」の違いについてきちんと考えたことがある人はあまり多くないのではないでしょうか。まず、「わたしはわたし、あなたはあなた」という互いに尊重し合う関係性、つまりバウンダリーについて考えるとき、「これはあなたのためなのだ」という言葉の裏に「コントロール」の意図が隠れていることに気づく必要があると私は考えています。
もちろんこれは、「子どものために何かしたい」という思いを否定するものではありません。しかし、「これが子どもにとって良い」と考えているのは「わたし」であり、それが子どもが望んでいることである保障はないのです。本来は「わたしがそう思っている」ということであるにも関わらず、「あなたのためを思って言っている」と言うのは、「わたし」が抱いている目標を子どもにも目指させようとすることにもなります。これはコントロールであり、「わたし」と「あなた」の間のバウンダリーの混乱を引き起こしています。
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「わたしはこう思っているのだけど、あなたはどう考える?」「わたしとは考え方が違うんだね。もう少し話し合おうよ」など、こちらから提案したり、折り合いをつけようとしたりするのはサポートだと私は考えています。つまり、「わたし」の考えや気持ちはきちんと「わたし」のものとして、バウンダリーを超えて相手の考えや気持ちに混ぜてしまわないこと。子ども支援現場に限らず、家庭や職場などにおいても重要な考え方ではないでしょうか。
混乱から「境界の引き直し」へ
—ここまで、バウンダリーの考え方や、その混乱、気を付けるべきことについてお話を伺ってきました。「バウンダリーの混乱が生じてしまった」という時、私たち大人に何が出来るのでしょうか。
まず前提としてお話したいことは、バウンダリーの混乱には「わたしのクセ」が反映されているということです。ペンの持ち方や話し方など、誰から教わったわけではないけれど、「クセ」がついてしまっている動作がありませんか?親戚からかかってきた電話で親と間違えられるなんて経験をしたことがある人もいるでしょう。それは、いつも同じ環境にいる人からシャワーのように浴びた動作を、知らず知らずのうちに学習してしまっているからです。
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同じように、人との関わり方も周囲の影響を受けながら自然と身に着けてきたもので、そこには無意識の「クセ」があります。そのため、支援現場における子どもとの関わりでも「わたしの日常」が再現されているはずだと思います。支援現場では意識が回っていて、自分の「クセ」が小さくなったり弱められたりはしているでしょうが、ヒーローのように完璧に変身してその場に登場することはできません。ふとした時にプライベートにおける「クセ」が出てバウンダリーの混乱を引き起こすこともあるでしょう。
普段子どもの前で「頑張って」しまっていたという場合、急に本音に触れてしまった子どもは「どちらを信じたら良いのか」と混乱してしまうでしょう。だからこそプライベートの時点から、「わたしのクセ」を理解し、バウンダリーが混乱しないよう意識をもつこと、そして混乱した後の善後策を考えられることが重要です。つまり相手を傷つけてしまったかもしれないという時、自分が何に混乱してしまったのかを理解し、相手との相互的な納得に基づいて関係性を深めていくスキルが大切です。これから話すのはあくまで引き直しにおいて大切にしたいことの例ではありますが、3つご紹介したいと思います。
①代替案の提示
まず、バウンダリーが混乱しそうな欲求に対しては代替案を提示できると良いと思います。特に子ども相手だと混乱しやすい、「からだの境界」の例でお話しましょう。人の尊厳において重要な身体および自分の物・空間を侵害されないという境界であり、生命の安心・安全に最も密接に関わります。ですから、大人から許可なく子どもに触れることはあってはいけません。例え相手がスキンシップの多い幼い子どもであっても、虐待などの経験を持つ子どもであれば尚更「触れられる」ということは恐怖につながります。一方で、子どもからのスキンシップを安易に容認することも問題だと私は考えています。
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「子どもが求めていることだし」「人との関係性や社会性を育むうえで、幼少期の愛着形成は大事だから」と、「わたし」の不快に目をつぶることはしないでほしいのです。タッチングはいずれ深まっていくものであり、また子どもによっては対象は私である必要はなく、「誰かに」触れたいという欲求である可能性もあります。やはりどこかで「線引き」が必要なのです。子どもに悪意がないほど、後から距離を取られる方が傷ついてしまうでしょう。
そこで私が実践していることは、代替案を提示することです。自分が支援現場に行くと「とっしー!」と子どもたちが駆け寄ってくることがありますが、「ちょっと待って!抱きつくんじゃなくて、その代わり後ろに回って肩を3回揉むのはいいよって言ったよね」と言います。子どもにとってはハグも肩もみも「触れていい」ということに変わりがないようで、私と子どもの間で納得した関係性をつくることができていると思っています。私が肩もみをしてもらえるという、ちょっぴりズルい約束ですが(笑)。子どもが求めていることを、支援者が受け止められる形で受け止めてあげる方法を考えることが大切だと思います。
②対等な「深いおしゃべり」
次に、コントロールではなく子どもをサポートするうえで重要な「話し合い」についてお話します。「感情と意思の境界」でもお話しましたが、人はそれぞれ感じ方・考え方が異なります。そのため、一人ひとりの子どもが何を求めているのか、何が不足しているのかをきちんと分かったうえで関わらなければ、関わりがコントロールになってしまうかもしれません。自分の推察で完結させようとするのではなく、「どう思う?」と話し合うことが境界の混乱を落ち着かせるために何よりも重要です。
最近あった例で言うと、小学生の子どもと話している時、私が5分間の大演説をしてしまったことがありました。子どもは私の話を聞いてくれていましたが、段々と仕方なく付き合っているような表情になっていきました。私はそれに気づき「あ、ごめん!5分もしゃべっちゃったね。申し訳ない…今、どんな気持ちかな?」「率直に言ってね。今、自分で『しまった』と思っているんだ。」と尋ねました。子どもから「話が長くて嫌だなって思った」という反応があり、「そうだよね、いつまで話すんだろうと思って恐怖だったよね。自分も同じ経験があるから分かる。ほんとにごめんね」といったことを話した記憶があります。
ここで意識したことは、対等な関係性です。自分の気持ちを話すことに子どもが安心感を感じられなければ、意思疎通は難しくなります。そのため、「自分が悪い部分は率直に謝罪すること」「子どもの感じ方・考え方を保障する」ことがコツではないかと私は考えています。今回の例で言えば、子どもに対する配慮が足りず話しすぎてしまったことを謝り、子どもが感じたモヤモヤを「私があなたの立場でもそう感じるよ」と肯定するということです。ネガティブな感情など「少し伝えにくいけれど大切な気持ち」を子どもが話しやすい、「深いおしゃべり」が出来る関係性を作っていくことが大切だと思います。
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③大人がモデルを示す
最後に、大人側がバウンダリーを引きなおす「モデルを示す」ことも、支援現場においてバウンダリーの混乱を落ち着かせるために重要なことだと考えています。
「責任の境界」を例にとってみましょう。「責任の境界」は相手に嫌な思いをさせない、自分が嫌な思いをしないための線引きであり、子どもたちが大人になっていく社会的自立の過程に関わります。けれど、「責任とは何か」について子どもたちは十分に学ぶ機会を得ているでしょうか。政治や企業の不正、学校や家庭などもっと身近な場面においても、権力や権威を守ろうと大人が言い訳や保身に走ってしまうことがあります。だからこそ、子ども支援現場は個別具体的な場面において「責任って何だろう」ということについて子どもたちが考えられる機会を提供していく必要があると思うのです。
先ほど述べた例のように、傷つけてしまった/不快に思わせてしまったかもと思ったら率直に謝る。そして謝ったうえで、相手がどのように傷ついたのかを聞き、了解を得ながらバウンダリーを引きなおす。このように、まず大人が責任の取り方のモデルを示す必要があります。また、子どもが約束を守らなかったというような場合にも同様です。約束を守れなかった理由を尋ねたうえで、「それを言ってほしかったな」「約束を破られてしまって傷ついたな。どうしたら信頼を取り戻せると思う?」などと伝え、子ども自身に考えてもらうようにしています。責任と聞くと「謝罪」が思い浮かぶかもしれませんが、謝ることは勿論、自分が果たせる責任は何かを考え、関係性を深めるために働きかけるパートナーシップの関係性を子どもたちに示すことができるといいなと考えています。
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最後に
—お話を伺って、バウンダリーとは相手との関係性の中で何度も「引き直し」を行い、その関係性の質を高めていくものなのだと感じました。長谷川さんがバウンダリーに向き合う上で特に意識していることはありますか。
「コントロール」と「サポート」の違いについてお話しましたが、「子どものため」と思っていても、それはあくまで「私が思う『良かれ』」であるという考えを大切にしています。私はソーシャルワークを専門としていますが、社会福祉やソーシャルワークは対等の関係性の中で相手のニーズを聞き出し、了解を得ながら一緒に満たしていくという共同作業です。そのため、とにかく関係性を作ることが重要です。境界の混乱に気づき、修正しなければと思ったときに話し合いができる関係性を築くことができれば、その話し合いの中で「こうしたいと思うのだけれど」という提案が活きてくるでしょう。
子どもは守られるべき存在であると同時に、大人と同等の社会的存在でもあります。この二重性が「何かしてあげなければ」という思いにつながり、バウンダリーの混乱、つまりコントロールにつながってしまいやすい理由なのかもしれません。そのため、まずは「子どもたちの間にいる」ということが良いと思っています。子どもたちが私を観察し、見極める時間を保障するためです。そうして築いた対等な関係性に基づいて、バウンダリーを互いに意識したコミュニケーションを取ることができれば、無用な混乱も少なくなり、仮に傷ついたときも謝罪や共感といったフォローによって、更に関係性を深めていくことができると考えています。
まとめ
今回は、長谷川俊雄さんに、境界の混乱の修復方法やバウンダリーに向き合う上で意識していることについて伺いました。ポイントを以下にまとめます。
- 「わたし」の考えや気持ちはきちんと「わたし」のものとして、バウンダリーを超えて相手の考えや気持ちに混ぜてしまわないことが重要
- プライベートの時点から人との関わりにおける「わたしのクセ」を理解し、バウンダリーが混乱しないよう意識をもつこと、そして混乱した後の善後策を考えられることが重要
- バウンダリーの引き直しにおいて、大切にしたいことの例には以下の3つがある
- バウンダリーが混乱しそうな欲求に対しては代替案を提示する
- 「自分が悪い部分は率直に謝罪する」「子どもの感じ方・考え方を保障する」ことで、対等な関係性に基づく話し合いを可能にする
- 個別具体的な場面において「バウンダリーを引きなおす」ことについて、大人がモデルを示しながら子どもたちに考える機会を提供する
- 社会福祉やソーシャルワークは対等の関係性の中で相手のニーズを聞き出し、了解を得ながら一緒に満たしていくという共同作業であり、まず「子どもたちの間にいる」ということも重要
※本記事の内容は専門家個人の見解であり、記載内容が全ての子ども支援団体にあてはまるとは限りません
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