2022年9月30日に、子どもに向き合う全国各地の支援者が学び/知見/意見をシェアするオンラインイベント「こども支援ナビMeetup」の第10回が開催されました。
本イベントでは、認定NPO法人PIECES理事 / ソーシャルワーカーの斎 典道氏をゲストにお迎えし、子どもが孤立しない地域をつくるための取り組みや社会の中に市民性を醸成する「Citizenship for Children」プログラムについてお話を伺いました。
イベントレポート第1回では、子どもの孤立の現状やPIECESが掲げる「市民性」についての内容を紹介します。
プロフィール:斎 典道 氏
大学在学中より国内外の社会的養護、地域子育て支援の現場でフィールドワークを実施。2012年には北欧の社会福祉を学ぶためデンマークに1年間滞在。国民の日常に溢れる、文化としてのウェルビーイングの価値に深い感銘を受ける。日本福祉大学大学院在学中に児童精神科医の小澤と出会い、PIECES設立に参画。現在は、事務局長として、事業・組織の両側面から事業運営に携わる。2015年~2019年まで、都内でスクールソーシャルワーカーを兼務。子ども・子育て家庭の教育福祉問題に対するシステミックな変革を、ソーシャルワーカーという立場から追求する。
認定NPO法人PIECESの活動内容
私は認定NPO法人PIECES(以下、PIECES)で理事と事務局長をしています。一応ソーシャルワーカーです。
現在PIECESでは直接的に子どもに関わるケアワークは行っておらず、町や地域の中で子どもたちに関わる人を増やしたり、子どもたちが生きる環境に対して働きかけをしたりといった取り組みをしています。
主な活動内容
- Citizenship for Children(市民性醸成プログラム)
- Cultivate Citizenship(啓発活動・広報)
PIECESは大学院時代に立ち上げに携わり、任意団体としての活動期間を経て、NPOとしては今年で設立6年目です。
子どもの孤立の難しさ
まずは子どもが孤立する現状について皆さんとすり合わせをしたいと思います。
これは私がPIECESを立ち上げてすぐくらいに出会った方のお話です。子どもの孤立を考えるときに私の中ではいつも彼女の姿が浮かんでくるので、ぜひ皆さんに共有させてください。
彼女と出会ったのはその子が17歳くらいのときで、妊娠して困っているという状況でした。その後彼女とはいろいろ関わりが続いていくんですが、幼少期の話などを聞いていくなかでこんな話をしてくれました。
- 自分はそれなりにしんどい家庭環境の中で過ごしてきたが、そういう家庭環境だからこそ、「自分は普通でいなきゃ」と必死に過ごしてきた
- そうしたら周りの大人(先生など)は自分が「大丈夫な子」だと思ってあんまり目をかけてくれなかった
- その時はそう振舞うしか自分に選択肢はなかったが、家庭のしんどい状況が重なっていっても、なかなか見てもらえなかった
- そんな状況のままどんどん家の生活がしんどくなって周りの子ともうまくいかなくなり、妊娠してしまった
彼女の周りには大人たちや友達と呼べるような同世代の子たちもいましたが、彼女は「誰も自分の本当の気持ちに向き合おうとしてくれなかった」と言っていました。また「表面上では関わってるけどどうせ関わってくる大人なんて誰も信用はできない」とも思っていたそうです。
しかし周りの人を信用しない一方で、「一人でもいいからちゃんと自分の話をゆっくり聞いて欲しかった」と言っていました。
私はここに子ども・若者の孤立の難しさ、捉えにくさがあるのかなと思わされます。
彼ら彼女らは本当に物理的に孤立してるわけではなく、人によっては支援者とも実際に関わっているかもしれません。しかしそれでも心の傷が癒されるような人との関わりをずっと持てずに過ごしてきた、と感じさせるような言葉でした。
私の中ではこの彼女の話がずっと心に残り続けていて、こうした周りから見えにくい孤立にどうアプローチしていけばいいのか、という点は、私から見える社会の問題・現状として捉えています。
子どもの孤立の現状
では実際に子どもの孤立の現状はどうなっているのかについて、内閣府「子供・若者の意識に関する調査(令和元年度)」のデータを紹介します。
画像:PIECES作成
内閣府調査によると「どこにも相談できる人がいない」が5人に1人、「どこにも助けてくれる人がいない」が10人に1人、「どこにも居場所がない」という子が20人に1人ぐらいいるそうです。
私としては、なかなかこれは重たいデータだなと思っています。いろいろ私なりにも子どもたちの環境づくりに関わってきたつもりですが、こうした現状があることを重く受け止める必要があります。
また「自分は孤独だ」と感じる子どもの割合についてのグラフも見てください。
画像:PIECES作成
これは日本と諸外国を比較したグラフなのですが、世界各国と比べても日本はちょっと突出しています。ほかの国は多くて10%くらいですが、日本だけ30%近いです。
また国立成育医療研究センターの調査によると、コロナ禍で子どもたちが親や保護者、先生に声をかけにくくなったと答えた子が5割近くいるというデータも出ています。こうした点からも子どもの「孤立」「孤独」はますます広がってきている現状があると言えるでしょう。
なぜPIECESは「市民性」を掲げているのか?
では、公的支援も民間による支援も多岐にわたって行われている現代において、PIECESがなぜ「市民性」に着目してそこにアプローチしているのかについてお話していきます。
私は今日この場に置きたい問いは「子どもたちが必要としているのは支援なのだろうか?」というものです。
画像:PIECES作成
支援の定義もさまざまなので難しいですが、これは子どもたちの現状やこれまで支援者として子どもの姿を見てきたなかで私の中に思い浮かんだ問いです。
たとえば皆さんが子どもの頃を思い出してください。なにか困ったことが起きたとき、最初に行政や支援団体の相談窓口に連絡しようと思う人はなかなか少ないのではないでしょうか。つまり、支援機関が実際に子どもたちのファーストチョイスになっているかと考えるとそうではないのかなということです。
先ほどのデータの続きになりますが、子どもたちの相談できない・助けてもらえないと思っている現状に対して、支援機関を利用しようと思うかという問いに「利用しようと思わない」という回答は7割近いです。
画像:PIECES作成
これはなかなかショックですよね。これだけ真剣に取り組んでいる人がたくさんいるのに、7割近くの子どもが支援機関を利用しようと思っていません。
さらにここからは推測ですが、たとえ残りの3割の子が支援機関を利用しようと思ったとしても、実際に利用するまではさらなるハードルがあると思っています。たとえば「相談したらなんか言われるんじゃないか」等と不安になることもあるかもしれません。そうした点も踏まえると、実際に支援機関へアクセスできる子どもはそんなに多くないと思っています。
ここまで述べたことをまとめるとこの2点が浮かび上がります。
- 子どもの周りにいろんな資源・サービス・取り組みはあるが、子どもは利用しようと思わない
- しかし相談できる人や助けてくれる人はいないし、居場所はないと思っている子どもは多い
私はこの歪みにアプローチする必要があると思っていますし、世の中がいわゆる「支援」にフォーカスしすぎている気がすると個人的には思っています。
私たちPIECESの考えは、子どもの孤立の現状をもたらしているのは子どもと大人・子どもと社会の「間(ま)」で生じた歪みだということです。
そして「間」を子どもたちにふさわしい形に築いていくために必要なのがPIECESが掲げる「市民性」です。
画像:PIECES作成
PIECESが考える「市民性」
市民性に明確な定義はないのですが、PIECESでは大きく2つのことが挙げられると考えています。
画像:PIECES作成
1つ目は「他者や社会とともによくありたいという願い」です。
まず前提として、私は「市民性は誰しもが持っているものだ」と思っています。市民性は発揮されやすい環境やタイミングがあるため人によって発揮される度合いは違いますが、誰しもどこかには他者や社会とともによくありたいという願いを持っています。
子どもを取り巻く課題は複雑に絡みあったり、時代とともに変化したりしていて、公的な支援だけでは解決しきれません。
だからこそ、一市民として小さく手元から社会に関わっていくことが市民性の要素としてあるのかなと思っています。
2つ目は「一人の人として持っている資源や資質」です。責任や社会的地位といった肩書きを一旦おろしたときにある自分らしさというイメージを持っています。
責任や役割を背負って「誰かのために」行動することは、時に権力的・抑圧的で、人を傷つけたり分断を生んだりすることもあります。
1つ目の市民性の要素を持って関わることで「自分も楽しいから関わる」「この場所が心地よいから関わる」という関わり方になり、それが結果的に子どもにとっても心地よい関わりになると捉えています。
もう一つ違う見方で市民性を考えていきましょう。こちらは市民性と専門性を比べてみた表です。あくまでも一つの整理として参考にしてみてください。
画像:PIECES作成
まず専門性が役割を持って支援するのに対して、市民性は個人名だったり「お肉屋のおじさん」「八百屋のおばさん」といったカテゴリで関わったりするイメージです。
役割の範囲については、専門性を持って関わる場合は明確ですが、市民性を持って関わる場合は範囲はここからここまでといった明確な区分はありません。
また専門性は課題の背景にフォーカスする一方、市民性はその子のありのままを見つめて、各々ができることをするという違いもあります。
ほかにも課題やリスクを考えるよりはキャパシティやストレングス重視、正しさよりは楽しさ・遊び重視といった点が市民性の特徴かなと思います。
私は、専門家や支援団体による支援が大切なのはもちろんですが、市民に求められている点は「支援」ではないと考えています。言葉遊びのようですが、「支援」よりも「関わり」というイメージです。市民として子どもたちとの関わりを考えていくことに市民性のヒントがあると捉えています。
市民性を考える上で大切な2つの視点
私は市民性について考える上で、2つの大事な視点があると思っています。
- 私たちは、子ども(他者)にとっての大切な資源
- 大切な資源ではあるけど、1つの資源でしかない
1つ目は私が心の底から思っていることです。
PIECESの活動をするなかで「自分にできることはあまりない」「自分が子どもに関わっていいのか」と思っている人にたくさんお会いします。しかし誰しもが子どもにとって大切な資源になりうるのです。
今回はそれを象徴するエピソードを1つお話します。ある方が幼少期に体験した切手屋さんでのエピソードです。
その方は父親からの暴力があったり、母親には重いご病気があったりと、複雑な背景を抱えた家庭環境で子ども期を過ごしていました。しかしそれを学校では出さず、できるだけ「普通」の子として過ごしていました。中学生になって、ある時父親からの暴力が激しくなり、警察に電話しようと決めました。携帯や家の電話は使えなかったため、近所にあるおじいさんが一人で営んでいるような切手屋さんの前にある公衆電話に行きました。しかし手持ちのお金がなく、電話を掛けれずにいたところ、そのお店のご主人が出てきて、簡単に事情を伝えたところ電話を使わせてくれたそうです。警察が来るまでの間、何か特別声をかけてくれたわけでもないけれど、お店の中で温かいミルクティーを出してくれて、ただ一緒にその場にいてくれたといいます。彼女はそれ以降、いろいろな支援者にも会うことになるのですが、何よりも救われたのはその切手屋さんの行動だったそうです。当時の彼女には、切手屋さんとの関わりがとにかくありがたかった、と。
この行為はご主人にとっては特別なことではないかもしれませんが、誰でもできるものでもないかもしれません。このご主人はきっと子どもの「支援」を学んでいるわけでもないでしょう。しかし、誰かを想うちょっとした行為が誰か一人を救えるかもしれないと、私はこのエピソードから学ぶことができました。
そして一方で2つ目の「大切な資源ではあるけど、一つの資源でしかない」という視点もしっかり自覚する必要があります。ここでもある若者が教えてくれたエピソードを紹介しましょう。
この方は学習支援を利用していた方で、スタッフから受けた「あなたのこと全部わかっているよ」という全能感を持った関わりがすごく不信に繋がったという話をしてくれました。その方が言っていたのは「学習支援に来られるのは元気なときだけ。本当に病んでいるときにはここに来ることさえできない。」ということ。スタッフが元気な一面だけ見て「全部わかっているよ」という態度で接してきたことに腹を立てたそうです。これは支援者もそうでない人も共通する部分だと思っているんですが、一人の人として関われる部分は限られている、全ての面を見られるわけではない、という感覚は大切です。
「自分は大切な資源ではあるけども、1つの資源でしかない」という点をちゃんと自分の中で引っ張り合えるかどうか、が市民性を考える上で大切なことだと考えています。
まとめ
第1回では、斎 典道さんに子どもの孤立の現状やPIECESが掲げる「市民性」について伺いました。ポイントを以下にまとめます。
- 子ども支援が充実している現代においても子どもの孤立は大きな課題である。
- 7割近くの子どもが支援機関を利用したくないと思っている。
- 市民性とは子どもと大人・子どもと社会の間を子どもたちにふさわしい形に変えるために必要なものである。
- 市民に求められているのは「支援」よりも「関わり」である。
第2回ではPIECESが行う市民性醸成プログラム「Citizenship for Children」の取り組みについて詳しく紹介していきます。
※本記事の内容は団体の一事例であり、記載内容が全ての子ども支援団体にあてはまるとは限りません
この記事は役に立ちましたか?
記事をシェアしてみんなで学ぼう