【前編】インクルーシブ教育とは?障害のある子どもの権利の保障を考える

2023年7月、重度障害者の女性を主人公とする作品「ハンチバック」が芥川賞に選ばれたことが話題になりました。著者である市川沙央さんご自身も先天性ミオパチーという重度障害を抱えています。

受賞会見では、「紙の本を読む」ことが市川さんにとっては困難なことであり、健常者を前提とした文化である、ということに触れながら、どうして重度障害者の本賞の受賞が2023年にもなって初めてなのか考えてほしい、と訴えました。

この会見からもわかるように、今の日本社会は、誰もが生きやすい社会になっているとは言いがたい側面があるでしょう。今回は、「誰もが生きやすい社会」を考えるきっかけの一つとして、インクルーシブ教育について紹介します。

インクルーシブ教育とは?

インクルーシブ教育とは、全ての子どもに対して教育の権利を保障する、という考え方です。この考え方は、障害のある子どもの教育について言われることが多いようですが、本来は、障害のある子どもだけでなく、民族やジェンダーなどマイノリティ(少数派)であるせいで不利益を受けやすい子どもも対象にした、より広い概念です。1994年の「サラマンカ宣言」で提唱されました。

この宣言を受けて、2006年には「障害者の権利に関する条約」が国連総会で採択されます。条約では、主に次のようなことが定められました。

  • 障害のある者が、その障害のせいで、一般的な教育(注1)が受けられないことがないようにすること
  • 障害のある者の生活する地域において、初等中等教育の機会が与えられること
  • 教育を受けるにあたり、その個人に必要な「合理的配慮」が提供されるべきであること

ここに出てくる「合理的配慮」という言葉は、あまり聞きなじみのない表現かもしれません。

本来は障害のある方々の権利が、障害のない方々と同じように保障されることが重要です。しかし、実際の教育や就業、その他社会生活においては、社会のバリアによって保障されていません。だからこそ、その社会のバリアを取り除くことで、障害のある方々も平等に社会生活に参加できるようにすることが必要となります。この「社会のバリアを取り除くこと」を「合理的配慮」と言います。

障害のある人の困りごとは本人の問題ではなく、そのようなバリアを置いた社会の問題だ、ととらえる「社会モデル」(注2)の考え方が背景にあります。

「合理的配慮」には、たとえば、次のような取り組みがあります。

  • 肢体不自由で車椅子を利用している方が通れるよう、スロープやエレベーターを設置する
  • 文字の読み書きが困難な方が学習しやすいよう、テキストが音声で読み上げられる教材を選択する

「合理的配慮」は、配慮をする側の負担が重すぎない範囲で行えばよい、と条約の中で決められています。たとえば、スロープやエレベーターを設置する予算がないなら、それらを設置する義務はありません。

ただし、条約では「合理的配慮」を否定することは、障害を理由とする差別にあたる、ともされています。スロープやエレベーターは設置できなくても、スタッフが車椅子の方の移動をサポートするなど、他の手段で配慮する必要がある、ということです。これはあくまで一例ですが、可能な範囲の中でどのように配慮すべきかを考えることが求められていると言えるでしょう。


画像:pixabay

日本の、障害のある子どもへの教育の展開

現在、日本ではインクルーシブ教育を取り入れていますが、それまでは、障害のある子どもへの教育制度は、どのように展開してきたのでしょうか(注3)。日本の変遷をざっくりまとめてしまうと、分離教育から統合教育、そしてインクルーシブ教育へと移っていった、といえます。まずは、分離教育から見ていきましょう。


画像:髙橋純一・松﨑博文「障害児教育におけるインクルーシブ教育への変遷と課題」(
https://www.lib.fukushima-u.ac.jp/repo/repository/fukuro/R000004531/16-116.pdf)をもとに筆者作成

分離教育とは、障害のある子どもと障害のない子どもとを分けて、別の場所で学ぶ教育のことです。日本では、19世紀末ごろから、障害のある子どもへの教育の機会を保障するための「特殊教育」として、障害のある子ども向けの学校や学級が整備されていきました。1979年に、すでに設置することが義務化されていた盲学校・聾学校に加えて、養護学校(現在の特別支援学校にあたる)の設置が義務化され、障害のある子どもの就学の保障がされます。

このようにして分離教育が整備されていきますが、ノーマライゼーションの理念の国際的な広がりを受けて統合教育へと舵を切ります。

ノーマライゼーションとは、障害の有無に関わらず、誰もが社会参加できる環境を整備していこう、という考え方です。この中で、障害のある子どもも障害のない子どもも、ともに同じ場で学ぶことが重視されるようになります。このような教育のあり方をインテグレーションと呼びます。

ここから、日本でも障害のある子どもと障害のない子どもを通常学級に統合することを目指し、1993年には通級制度が始まりましたこの制度によって、通常の学級に在籍する子どものうち特別な支援を要する子どもは、一部の時間、別の教室で指導・支援を受けられるようになります。

この動きにともない、2000年代には「特殊教育」から「特別支援教育」へと転換していきました。これまでの「障害のある子どもを分離してその子どもたちに対して支援をする」という形から、「通常学級にも特別な支援を要する子どもがおり、その子どもの個別ニーズに合わせて特別な支援をする」という形となったのです。このようにして、統合教育としての「特別支援教育」が整備されていきました。

統合教育からインクルーシブ教育へ

しかし、「特別支援教育」はインクルーシブ教育の観点から批判を受け、さらに変化していきます。

インクルーシブ教育では、子どもたちを障害の有無によって分けません。障害とは、すぱっと分けられるものでなく、人によって程度が異なる連続的なものと考えるからです。その上で、ひとりひとりがユニークな存在であり、全ての子どもを分けることなく包みこむ(インクルーシブ)ような教育システムの構築を目指します。

一方で、統合教育は子どもたちを障害の有無によって分け、障害のある子どもを、そうでない子どもの教育に合わせようとする考え方であったため、インクルーシブ教育の観点から批判を受けることとなりました。

そこで、前の節で説明したサラマンカ宣言(1994)、障害者の権利に関する条約(2006)を受けて、日本でもインクルーシブ教育の理念を取り入れました2012年に文科省は「共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育システム構築のための特別支援教育の推進」を出し、2014年に障害者の権利に関する条約を批准しました。こうして日本でもインクルーシブ教育としての「特別支援教育」が構築されるようになり、現在に至ります。

ここまで見てきた通り、インクルーシブ教育が日本の教育に取り入れられたのは、ほんの10年ほど前のことであり、現在は統合教育からインクルーシブ教育への過渡期であるといえるでしょう。

注1:ここでの「一般的な教育」とは、公教育のことを指している。しかし同時に、この条約では、公教育以外に生涯学習の機会を確保することも締結国に求めている。冒頭で紹介した市川沙央さんは、「文化環境も教育環境も遅れており、当事者作家が出てきにくい」とも指摘しており、これは公教育というよりも生涯学習について言及している。このように、公教育以外の教育環境の整備も必要とされている。

注2:「社会モデル」に対して「医学モデル」という考え方がある。これは、障害を「健康状態から生じる個人の問題」ととらえる考え方である。この視点に立つと、障害者が社会に参加できるようにするための対応は、障害のある本人に対して医学的な治療をしたり、社会に適応できるよう訓練する、というものになる。いずれの考え方も障害の一側面しかとらえられていないことから、この二つを統合した、より包括的な健康観として、ICF(国際生活機能分類)がWHOで2001年に採択されている。これは、障害のある人だけでなく全ての人に関する指標となっており、健康を、複数の要素が相互に作用する複雑なものととらえている。この指標のように、障害(や健康)の困難解消のためには、複数な視点から、より的確に状況を把握する必要があると考えられている。

注3:ここでは教育制度についてのみ概観しており、その他民間などの教育のあり方については特に触れていない。また、説明の都合上、教育制度の変遷を、その理念の変遷の観点から整理している。しかし、理念発展の背景の一つには国内外の当事者を中心とした社会運動があることも忘れてはならない。”Nothing About Us Without Us”(私たち抜きに私たちのことを決めるな)という運動のスローガンにまとめられているように、インクルーシブ(教育)までの発展の歴史は、当事者が「自分自身で自分達のあり方を決める」という市民として当たり前の権利を獲得する歴史だった。

まとめ

今回は、インクルーシブ教育の定義、日本での展開についてご紹介しました。ポイントを以下にまとめます。

  • インクルーシブ教育とは、全ての子どもに対して教育の権利を保障する、という考え方
  • 障害のある人の権利保障のために「合理的配慮」を行うことが重要
  • 日本では、分離教育→統合教育→インクルーシブ教育と展開してきた

後編では、インクルーシブ教育の現在について、日本・海外での取り組みと、今、私たちが子どもたちに対してできることは何か、をご紹介します。

後編はこちら:

【後編】インクルーシブ教育とは?障害のある子どもの権利の保障を考える
【後編】インクルーシブ教育とは?障害のある子どもの権利の保障を考える

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※本記事の内容は団体の一事例であり、記載内容が全ての子ども支援団体にあてはまるとは限りません

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